石黒好美の「書く福祉」・希望は制度の狭間にしかない──NPOに求められる「支援」とは
名古屋駅の西口で、着ぐるみを着たメンバーが若者たちに声をかけ交流することを通して非行や孤立を防ぐ──そんな活動をしている「全国こども福祉センター」というNPO法人があります。理事長の荒井和樹さんが出版された書籍『能力社会から共同体自治へ』(せせらぎ出版)がめちゃくちゃ面白かったので、全力でレビューしたいと思います。

全国こども福祉センター理事長・荒井和樹さんの著書『能力社会から共同体自治へ』(筆者撮影)
「支援」が排除を生み出している?
そもそも「支援」とは、なんでしょうか?
「全国こども福祉センター」は、若者や子どもの支援団体とみなされています。ちなみに私はNPO法人ささしまサポートセンターという団体に深く関わっています(このエッセイの内容は私個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではありません)が、こちらはホームレス状態にある人、生活に困窮している人を支援する団体です。
ホームレス支援といって多くの人が思い浮かべるのは「炊き出し」です。家やお金がない人に食事を提供する。食べ物を買えない人の空腹を満たす。困っている人を困っていない状態にする。最近は子どもたちに食事や憩いの場を提供する「子ども食堂」という取り組みもクローズアップされています。
支援には「よくする」という機能があります。足りないものを増やす、できないことをできるようにする。「学習支援」といえば、子どもたちがより勉強ができるようにサポートすることであり、「就労支援」といえば働けない人を働けるように訓練したり調整したりすることであり、「自立支援」といえば、自分で生活を成り立たせられるようにすることです。
逆に言えば、「支援の前」は「よくない」状態ということになります。勉強ができないこと、仕事をしていないこと、経済的・精神的・社会的に自立していないことはよくない。だから、できるようにしましょう、それを助けますよというのが「支援者」であり、「支援団体」なのだ、ということになります。
この考えを突き詰めれば「人が社会に適合し、何かの役に立つこと/生産性を持つこと」が「支援の目的」となっていきます。しかし、これこそが「排除の論理」そのものではないでしょうか。学校や家庭、企業で苦しみ、傷ついてきた人を受け入れますよ、助けますよと謳う団体に行ってみたら「今のままでは社会でやっていけませんよね。できるようになりましょう」と、再び自分を否定されてしまう。これでは「困っている人」は、どこにも自分の居場所はない、と感じてますます誰にも頼れなくなり、孤立を深めて問題を大きくするばかりです。
子どもたちは苛烈な能力主義(メリトクラシー)の渦中にいます。学校で学業や課外活動の成績で評価されるのはもちろん、SNSでも容姿を比べられ、弱音を吐くことは「甘え」「かまってちゃん」だと揶揄されます。荒井さんはもとは児童養護施設の職員だったそうですが、ここでも子ども個人の能力や機能を伸ばすことを目的とした「自立支援」の計画が立てられているといいます。
(子どもたちは)「A 健康な心身を育む機能」「B 自分を大切にする機能」「C 他者を尊重し共に生きる機能」「F 自分らしく生きる機能」などの6項目で評価されます。「C 他者を尊重し共に生きる機能」は、他者とのコミュニケーション能力や関係性が評価され、「F 自分らしく生きる機能」は、子どもの発達課題の達成状況や生育史が評価の対象となります。
立場が逆転し、自分自身が子ども期に生育史(自分が生まれ育った経緯)やコミュニケーション能力を評価されたとすれば、決していい気持ちはしないと思います。
NPOも「自立」を求められる
「支援者」や「支援団体」自身もまた、この能力主義の競争から逃れられずにいます。NPOもまた「自立」しなければならない、という言説を何度も耳にしてきましたし、私自身も言われてきました。貧困者を支援する団体の職員がワーキングプアではいけない。やりがい搾取ではいけない。職員にまっとうな給与を支払い、安定して活動を継続するための資金を獲得し続けられるようにするべきだ、と。
そのためにどうするか。多くのNPOや支援団体は、助成金や行政からの委託事業の獲得競争に身を投じます。そこでは「どれだけ効率的に成果を出したか」とか「どれだけ組織を拡大させたか」という評価が団体の価値を測る指標となります。荒井さんは、こうした「自立しなければ、成長しなければ、成果を出さなければ」という規範そのものがNPOや支援団体を追いつめていると厳しく批判しています。
荒井さん自身もかつては活動資金を獲得するため、助成金の申請や募金集めに血道を上げたことがありました。しかし、それは「誰でも来ていい」「仲間と一緒にいるだけで楽しい」「できないことがあっても責められない」といった、そこに集う人たちが感じていた全国こども福祉センターの魅力とは相容れないものでした。
わたしは当時 “仲良しこよし” の交流を続けるために募金を集めたり、助成金を申請したりすることは許されないと考えていました。声かけの成果を示したり、社会課題の解決を図ったり、何らかの成果をあげることに意味があると思っていたのです。しかし、ボランティアは自由意志です。非営利活動は多くのボランティアによって成り立っています。自由意志を尊重すれば、拘束や命令はできません。にもかかわらず、NPOは効率や生産性を重視しなければいけない競争環境に身を置いています。
荒井さんは声かけが上手なメンバーや、書類づくりや情報発信が得意なメンバー、イベントの企画や運営をそつなくこなすメンバーなどを重用するようになります。効率よく、安定した組織運営をせねばならない、と考えたためです。メンバーもお互いを「能力」や「成果」でジャッジするようになり、コミュニケーションが苦手なメンバー、要領よく仕事をこなせないメンバー、時間や約束を守れないメンバーは居づらくなっていきます。
もとはといえば子どもや若者の非行や犯罪、自殺の背景には孤立や排除の問題があると考えて始めたのが、路上での声かけや交流の活動でした。それなのに、成果主義がメンバーを追いつめ、荒井さん自身も仲間との関係を悪化させてしまいます。

全国こども福祉センターの活動の様子(写真提供:全国こども福祉センター)
能力主義を手放す
荒井さんは思いきって助成金の獲得をやめ、自身も全国こども福祉センター専業ではなく講師業など2つ以上の仕事を掛け持ちすることにしました。よく言われる「団体の安定した運営のため専業の職員を置く」とは真逆の発想です。
そして、活動の内容や目的は「支援」ではなく「交流そのもの」にあると定義し直し、「成長・自立・発達」を目指す能力主義に対して「脱成長・反自立・反発達」を掲げます。全国こども福祉センターは実際には困難を抱えた子どもや若者の生活支援をしたり、相談に乗ったりというサポートも相当にしているのですが、それを強調することはなく、ただ集うこと、何をしてもよく、何もしなくても居てよい場と機会を作ることを最も重視しているようなのです。

活動中の荒井さん(写真提供:全国こども福祉センター)
メンバーに対して成長も成果も自立も求めず、能力のばらつきは相互に補い合う。人間関係に条件をつけず、純粋に信頼関係のみによって活動を継続させる。そんな夢のようなことができるのでしょうか? しかし、全国こども福祉センターはそうなっているようなのです。活動で決まっているのは「名古屋駅西口広場」で「毎週土曜日18時~21時(冬期は17時~21時)」に活動する、ということのみ。参加者のシフトや役割分担を決めたりもしていないとか。
準備や場所取り、食事づくり、片づけ、法人運営、経理なども、必要と感じたメンバーがその日に担当し、助けが必要な場合は、たがいに声をかけあいます。当日集まったメンバーで考え、できる範囲で活動を続けています。そのため、あらかじめ細かいルールや計画を立てる必要もありません。不備や不満を感じる場合は、その人自身が時間より早く来て、準備から参加すればいいだけの話です。そのため、運営者も参加者も自由な環境で、思い思いに参加することができます。
もし、時間通りに開始されなかったり、準備物が不足していたり、想定外のことが起きても、「それでもいい」と考えているため、許容されます。それは、信頼し、任せた結果だからです。活動への参加のあり方も人それぞれでいいと思えるのは、メンバーやボランティアへのたがいの感謝と信頼で成り立っているからです。
規模を大きくしすぎない
資金集めの方法も大きく転換しました。助成財団などの中間組織を通さず、寄付者と直接繋がって活動を体験してもらい、ボランティア自身もできる範囲で活動資金を提供するかたちで運営資金をまかないます。莫大な資金を得ることは難しいでしょうが、能力主義に拠らずに継続的な人間関係を維持する場を創っていく「共同体自治」とはこれかと感じました。