石黒好美の「書く福祉」・支援の「専門家」とは何か——『「回復」という毒 支援に埋め込まれた構造的暴力』を読んで

ライター/社会福祉士で生活困窮者支援のNPO法人事務局長の筆者が、福祉の現場のリアルを発信します。
nameken 2026.09.19
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 ノーベル平和賞まで取ったマイクロファイナンス事業は、貧困解決の万能策ではなかった、という記事を読み、考えたことをFacebookに投稿しました。

 私は名古屋で野宿生活をされている方や、いわゆるホームレス状態にある方、生活に困っている方を応援する活動をしている団体、NPO法人ささしまサポートセンター(SSC)で働いています。

 SSCには日々さまざまな人からさまざまな相談が寄せられますが、多くは「お金がなくて困っている」というものです。家がないとか仕事がないといった相談も、要するにお金が無いから生活が立ち行かないわけです。

 そんなとき、ここで自分がお金を貸せたら(もしくは、渡せたら)どんなに楽かと何度思ったことか。そうすればすぐに家も借りられ、飢えることも借金の返済に悩むこともなくなります。けれど、実際には私たちにはそんなふうにポンと出せるお金はないし、出せたとしても根本的な解決にはなりません。

 以前の記事(名古屋で生活保護申請をするとどうなるの?)にも書きましたが、「お金がなくても今すぐ住めますよ」といった「救いの手」を差し伸べてくるのは貧困ビジネスの業者であることも多いのです。ここで安易な道を選ばず、グッと踏ん張って支援ができるかどうか。それが支援の専門家ではないか、ということを書きました。

専門家は「正解」を知っている?

 けれど、このポストを見た同僚にこんなことを言われました。

専門性を持って支援をしてます、という支援職のきな臭さ。

「専門性を持っている私たちに相談してください」って見方によっちゃ暴力的なんだよ。

 これを聞いてはっとしました。

 私たちは支援の専門家だから、正解を知っています。一見、よさそうに見える解決策に騙されない知性を持っています。相談に来た人にとって、よりよい選択肢を指し示すことができます。なぜなら、専門性を持っているから。 ……って、本当にそうなのでしょうか?

 相手の人生に対して、「専門家である私の方が」正解を持っている? そもそも正解って、何? 根本的な解決って、何?

 それは相手を無知で、無力で、それゆえに困窮状態に陥った人と決めつけて、「専門性のある支援者」の思う「正解」に導こうとしているだけではないでしょうか。

 たとえば、ものすごく困窮して心も身体もボロボロなのに「絶対に生活保護は受けたくない」という人はたくさんいるんです。「支援者」から見ると、そんなこと言ってないでまずは生活保護申請をして、通院して休養して健康を回復してからその先の生活を考えたらいいのに……と思うのですが、頑なにその道を選ばずフラフラになりながら就職したりタイミーの仕事を入れて、またさらに体調を崩してしまう、という人もいます。

 そういうとき「支援の専門家」は「自分の状況を客観的に見られていない」とか「生活保護バッシングのせいで生活保護受給者への偏見が強く、支援に繋がれない」と思ってしまいますが、本当にそれだけなのでしょうか。支援者の「専門性」という傲慢さが、相談者の本音を覆い隠すフィルターになっていないでしょうか。

語りの言葉が奪われる

 


 風間暁著『「回復」という毒 支援に埋め込まれた構造的暴力』(日本評論社)は、「薬物依存症者」とかいうレッテルを貼られた当事者の目線から、まさにそういうことを繰り返し繰り返し説いた本である。

 前半は著者本人の壮絶な半生のドキュメントで、いくらなんでもこんなに凄惨な虐待を受けることがあるのだろうか、読みながら「実はフィクションでした」という種明かしがあってほしいと願わずにはいられない壮絶さである。あまりに悲惨で「本当にあったことなのだろうか、作り話ではないか」と疑ってしまうかもしれない。こんな日常を過ごして来た人が、この日本にいるなんて信じられない。そう思ってしまうからだ。私も今でも知り合いに「本当に公園で寝ている人なんているの?」とか聞かれることがあるが、知らないこと、あまりにも自分からかけ離れている状況のことをリアルに感じ取るのは難しい。

 たまたまこの著者が「語ることができた」から明るみに出ただけで、多くの悲惨な日々を生き延びてきた人が事実を語ることができず、あるいは語っても医療者や福祉関係者と言った支援者によって矮小化され、見えなくされてきたのではないか。「専門家」は精神障害者や依存症者、認知症のある人などを「説明しても分からない」「正しい判断ができない」人とみなす。それによって、その人の言葉は「権利の主張」や「権利侵害への抵抗」ではなく「解釈の対象」となってしまう、と著者は言う。

「帰りたい」は帰宅願望ではなく「症状」に、

「やめてほしい」は拒否ではなく「問題行動」に、

「苦しい」は苦痛ではなく「混乱」に、翻訳されてしまう。

風間暁著『「回復」という毒 支援に埋め込まれた構造的暴力』

 幼い頃からの「非行」や「問題行動」もさまざまな薬物の使用も、彼女にとっては彼女の存在を否定する周囲の大人への抵抗であり、誰にも分かってもらえない中でも何とかやり過ごすための術であった。彼女にとって周囲が彼女に与えようとする「支援」や「治療」は、彼女の意思を無いものとして、無理に彼ら彼女らが考える「正しさ」や「社会の規範」に彼女を押し込めようとするものでしかなかった。

虐待は善意から生まれる

 けれど「専門家」だって、彼女らのような患者や相談に来た人たちを貶めたくてやっているわけではない。むしろ善意から、心配から、不安から、人権侵害や虐待が起こるのだ。転んでケガをする可能性があるから身体拘束をし、自傷や他害を防がねばならないから入院を続け、薬物を使わせないために外出を禁止する。

 熱中症や寒さに苦しまないよう屋根のあるところで暮らしてほしいし、貧困ビジネスに騙されて酷い目に遭わないでほしいし、毎日食事をとって医療にもつながってほしい。だから生活保護を使ってほしい。最初は施設で集団生活をしなければならないかもしれないし、毎月7万円くらいまでで食費も水道光熱費も日用品も衣類もその他の生活費もまかなう必要があるけど、野宿よりいいじゃない? 派遣寮に住まわされて低賃金でこき使われた挙句、契約満了で放り出されるよりいいじゃない……?

 それが本当に「いい」かどうか、誰に決められるのだろうか。自分の力ではどうにもならない大きな危機、逆らえない権力、不安定な状況を前にして、薬物を使ってその場をやり過ごす人もいれば、たとえ家賃が不当に高くても審査が通る部屋を用意してくれる人や、法外な利息でもすぐに現金を融通してくれる業者を選ぶ人もいる。

 同じように「専門家」だって、目の前にいる悲惨な状況に直面したクライアントを前に、強制的に入院/入所させたり、拘束したり、とりあえず当てはまりそうな制度を使わせたりしてはいないだろうか。オーバードーズ(OD)も「支援」や「治療」も、ままならない状況を何とかコントロールするための方法、という意味では同じなのかもしれない。

 「僕たち医療者は、強制入院、強制隔離って、強引なコントロール法をもっちゃってるので、使いたくなるんですよね」

 「でもそれはODと一緒で、そのあとの見通しが立っていないと、結局、自死を近づけるでしょう。死にたさを増やすばかりで」

 「はい、そのとおりだと思います。でも瞬間的には、自死から遠ざけます。だから延々と使いたくなる。れいか(患者)のODと同じ構造です」

風間暁著『「回復」という毒 支援に埋め込まれた構造的暴力』


「回復」すべきは「専門家」である

 では、どうすればいいのかというと、答えはシンプルな気がする。これだけ患者と医療者、相談者と福祉専門職が「似ている」のであれば、解決方法も同じなのではないだろうか。

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