永谷正樹の「モヤモヤするでいかんわ!」その5・店主のこだわりと、客への威圧は別の話

少し前に、講談社BECK発行の『TRYラーメン大賞全国版』の取材で、静岡県伊東市にあるラーメン店『福々亭』を訪れた。
ここは、“ラーメンの鬼” との異名をとる伝説のラーメン店主、佐野実さんの直弟子である早藤洋介さんが、1998年に開店させた店である。伊東市内で長年営業を続け、今も行列が絶えない人気店だ。
今でこそ、ラーメンは一つの料理として人々に認知され、ミシュランの星付き店も誕生した。素材や製法にこだわり、一杯数千円のラーメンを提供する店もあれば、遠方からわざわざ食べに来る人もいる。ラーメンは、もはや単に腹を満たすための安価な食べ物ではなくなった。
しかし、1990年代は、まだラーメンは安くて手軽な大衆食の域を出なかった。もちろん、当時からこだわりを持ってラーメンを作る店はあったが、今ほど一杯のラーメンに価値を見いだす時代ではなかったと思う。
“ラーメンの鬼” の意外な素顔
そんな中、佐野さんは1986年、35歳の時に神奈川県藤沢市に、自身の理想を詰め込んだラーメン店『支那そばや』を創業する。のちに横浜市戸塚区へ移転することになるこの店で、佐野さんはラーメンの可能性を追求し続けた。
「旨いラーメンを作るためなら、お金も時間も惜しまない」という信念のもと、スープには地鶏などの上質な食材を使用。醤油や塩、鰹節、昆布、メンマ、はてはネギにいたるまで、全国の生産地へ自ら足を運び、納得のいく食材を探し求めた。
生産者のもとを訪ね、素材を吟味し、少しでも旨いラーメンを作るために手間もお金も惜しまない。ラーメン一杯にそこまでやるのか、と思うほどのこだわりようだった。
この食材に対する異常なまでの情熱と執念から、佐野さんはいつしか “ラーメンの鬼” と呼ばれるようになったのである。
1990年代後半から2000年代初頭には、テレビにも頻繁に登場した。鋭い眼光でラーメンと向き合う佐野さんの姿を覚えている人も多いだろう。
その際、『支那そばや』独特のルールも注目を集めた。
それは、店内での私語・おしゃべり禁止と携帯電話禁止、香水の強い方の入店お断り、そしてタバコ禁止というもの。
今なら、食事中のタバコなど論外だし、携帯電話も使い方次第だろう。香水についても、食事の場では周囲への配慮が必要だ。しかし、当時は店が客にそこまで求めること自体、珍しかったのではないか。
これらのルールを破ると、叱り飛ばされそうな迫力が佐野さんにはあった。テレビ越しにも伝わってくる、あの独特の緊張感。ラーメンを食べるだけなのに、なぜそこまで緊張しなければならないのか。そんな印象を持った人も少なくなかったと思う。
ところが、『福々亭』の店主、早藤さんに話を聞くと、テレビで見る佐野さんとは少し違う一面があった。
「すべてはラーメンをおいしく食べてもらいたいというマスター(佐野さん)の思いからなんだけどね。マスターのイメージはテレビが作ったようなもんだよ」
早藤さんは、そう話してくれた。
なるほど、と思った。
“ラーメンの鬼” ゆえに、ラーメンづくりに一切の妥協を許さなかったのは間違いないだろうし、その姿勢を弟子にも求めるのは当たり前の話だ。自分が納得できる一杯を作るために食材を厳選し、手間を惜しまない。だったら、客にも最高の状態でラーメンを味わってほしいと考えるのは、自然なことなのかもしれない。
一方で、早藤さんが知る実際の佐野さんは、テレビで見せる厳しい姿だけではなかったという。
弟子たちを飲みに連れて行ってくれるなど、とても人間味のある人だったそうだ。ラーメンづくりには厳しくても、四六時中、鬼のような顔をしていたわけではない。テレビで強調される一面と、実際に付き合ってみなければわからない一面があったのだろう。
そんな師匠と弟子の関係は、早藤さんが独立してからも変わらなかった。

『福々亭』の「醤油らー麺」(1100円)。見た目はシンプルだが、だし感や醤油のキレやコクが幾重にも広がる。私がこれまで食べてきたラーメンの中では間違いなく最上位のランク
ある日、佐野さんは『福々亭』にふらりと現れて、ラーメンを注文した。弟子の店だからといって、特別扱いを求めるわけでもなく、いつものようにラーメンを食べたのだろう。
食べ終わると、佐野さんはこう呟いたという。
「懐かしいな、オレの味だ」
いやー、これはたまらない。
弟子が作ったラーメンを師匠が食べて、「オレの味」と認めたのである。「旨い」と褒めるのとは、また意味が違う。自分が教えてきた味が、弟子の手によって受け継がれている。そのことを確かめたうえでの一言だったのではないか。
最上級の褒め言葉であり、免許皆伝を言い渡されたと言ってもよいだろう。
佐野さん、めちゃくちゃカッコイイ!
二郎だから許される、みたいな
……って、この連載はイイ話を紹介するのではなく、モヤモヤする話だった(笑)。
危うく、師弟愛に感動して終わるところである。
『支那そばや』独特のルールに話を戻そう。
当時は「厳しい店だな」と感じたものだが、今はラーメン店で私語やおしゃべりをしている客は少ないし、『一蘭』のような味集中カウンターもある。タバコは論外だし、携帯電話や香水は、店が独自にルールを設けるというよりも、客側のマナーの問題になっている。
時代が変わり、食事をする側の意識も変わったのだろう。そう考えると、佐野さんが当時から求めていた食事環境は、今ではそれほど特別なものではなくなったのかもしれない。
ただし、ここで勘違いしてはいけないのは、店が独自のルールを設けることと、店主や従業員が客を怒鳴りつけることは別だということだ。
店には店の考え方がある。客にも守るべきマナーがある。店のルールに納得できなければ、その店に行かなければいい。それだけの話でもある。
しかし、ルールを守らない客がいたとしても、だからといって怒鳴り散らしていいわけではない。
令和の時代にも、客を怒鳴りつける飲食店の店主や従業員は実在する。
直近では、『ラーメン二郎 京都店』をめぐり、従業員からの高圧的な声掛けや「怒鳴られた」とする投稿がSNSで拡散され、大きな議論となった。
私は『ラーメン二郎』についてあまり詳しくは知らないが、店舗や店主によって「温厚で丁寧な店」と「威圧的・高圧的で厳しい店」と異なるらしい。
二郎には二郎独自の文化があり、店ごとのルールや雰囲気も含めて楽しんでいるファンがいるのだろう。外から見ただけではわからない魅力があるのかもしれないし、それを否定するつもりもない。
ただ、メシを食いに行って叱られるのは、私はまっぴらごめんだ。
もちろん、店のルールを守らない客が悪い場合もあるだろう。しかし、客がルールを知らなかったり、ちょっとした失敗をしたりしただけで怒鳴られるのだとしたら、ずいぶん窮屈な話である。
それも含めて『ラーメン二郎』なのだろうか。二郎だから許される、みたいな。
刈谷の食堂で見た、信じられない光景
ところが、有名店でも何でもない店の店主や従業員が威圧的・高圧的というケースもある。
にわかには信じがたい話かもしれないが、実際に私はこの目で見た。
あれは今年2月、新規案件の打ち合わせで刈谷へ行ったときのことだ。