選挙と原発と中道と・関口威人の「フリー日和 (⌒∇⌒)□」【特別編】
衆議院が解散され、1月27日公示、2月8日投開票の選挙が決まりました。僕はこの週末に能登取材の予定を入れていたのですが、大雪の影響もあって調整に四苦八苦したあげく、能登行きは断念。その上で週明けの26日午後には愛知1区〜5区の立候補予定者公開討論会を生配信する予定ですので、ご関心あればヤフーTHE PAGEをチェックしてみてください。
今回の選挙は超短期決戦ですが、高市政権の是非をはじめ「中道改革連合」の評価、消費税減税(のやり方?)などの論点があります。そんな中で個人的には「原発」を軸に考えてみたいと思いました。ちょうど中部電力のデータ捏造問題や柏崎刈羽の再稼働が重なっているからでもありますし、世界的にみてもエネルギー安全保障が喫緊の課題となっているからです。とはいえ、そんなに小難しい話をしたいわけではありませんので、よろしければお付き合いください。
かすかな希望が失望に
まず、僕自身の原発との向き合い方について簡単にまとめてみます。
僕は数学のできない “なんちゃって理系” でしたが、物理には関心があったので建築のほかに相対性理論や量子力学の本なんかも好きで読んでいました。
だから、原子力の研究開発に文字通り身を捧げた人たちには敬意を持っていましたし、原子力を平和に安全利用できるならそれに越したことはないと思っていました。
建築をあきらめて新聞社を目指したときには、いわゆる科学記者希望ではありませんでしたが、科学技術と社会との間を橋渡しするような役目は果たせるのではないかと考えました。初任地で石川・金沢暮らしをしていたときは、本業とは別に志賀原発を見に行ったこともあったぐらいです。
ところが、新聞社という組織的にも自分の能力的にもそんなに大それたことはできないと分かり、退社してフリーになったとたんに東日本大震災・東電福島第一原発事故が起こりました。ここでも無力感ばかりだったのは以前に書いた通りで、福島の人たちが経験した苦難と無念を目の当たりにすると、原子力に抱いていたかすかな希望は完全な失望に変わったと言わざるを得ませんでした。
中電・浜岡に通い続ける
一方、名古屋では中部電力の浜岡原発が当時の菅直人首相の要請によって稼働停止しました。2011年5月、僕は「FRIDAY」の仕事として初めて中電本店に入り、当時の水野明久社長の記者会見の様子を取材、撮影しました。
それまではご多分に漏れず「記者クラブ以外お断り」の中電でしたが、実際に事故を起こした東電に世界中からメディアが殺到したため、中電も会見を開放せざるを得なくなりました。しかし、黙っていればまたすぐ閉じてしまうだけだと思い、僕は正式に記者クラブ以外の取材者が会見に出られるよう交渉し、フリーとして登録する手続きを作ってもらいました。その登録は今も有効なので、少なくとも年に一度は中電の社長会見に出席するようにしています。
浜岡原発の稼働停止を受けて記者会見する中部電力の水野明久社長(右)その横に座っているのは4年後に後継社長となる勝野哲副社長(当時)。今回の浜岡原発を巡るデータ捏造は勝野氏が社長時代に本格的に行われている=2011年5月9日、筆者撮影