「自立」にNOと言う方法・石黒好美の「読み/書く福祉」

ライター/社会福祉士の筆者が福祉分野にまつわるモヤモヤを読み/書きしながら整理する連載です。
なごやメディア研究会 2025.02.22
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 学校をドロップアウトしたヤンキーが、学校よりももっと規律の厳しい暴走族や暴力団に入るのが不思議だった。なんだ、理不尽な規則に反抗したわけじゃないんだ。自分が認めてもらえる集団になら尻尾を振って服従するんだ。ダッセーな。

 格好いいアウトローというのはしょうもない世の中にきっぱりNOと言って迎合せず、別の秩序、別の価値、別の世界を創り出すことだと私は思う。だから、成り上がりたいだけのヤンキーよりも、喧嘩の弱そうなテクノオタクの方がよほど不良だと思っていた。

支援されないと自立できない?

 そう思っていたはずなのに、勝山実『自立からの卒業』(現代書館)は、他でもない自分こそが「成り上がりたいヤンキー側」の人間でしかなかったことを突きつけられる辛い本だった。

 1971年生まれの勝山実は10代の頃から50代の今まで引きこもりを続ける自称「ひきこもり名人」である。編集者とメールのみでやり取りして書き上げた処女作『ひきこもりカレンダー』や、楽しくゆるく、しかし断固としてひきこもりを続ける方法を説く『安心ひきこもりマニュアル』といった著書がある。

 『自立からの卒業』も例に漏れず、生涯一ひきこもり、ひきこもり貫徹の強固な意志に満ち満ちている。特に行政やNPOが用意するひきこもり向けの「自立支援」プログラムに対する拒絶、というかこき下ろし方が厳しい。彼に言わせれば現在のひきこもり支援のメインメニューである「就労支援」「居場所」「相談窓口」「訪問支援(アウトリーチ)」は「なにひとつまともに機能していない」。実際に、こうした支援は以前より受けやすくなっているものの、日本で「ひきこもり」と呼ばれる人の数は減っておらずむしろ増えている。

 「自立支援」とは「自立していない」人のためのものである。つまり、支援を受けるためには

1)自分は自立していない

2)自立していないのはダメなことである

3)ゆえに、自分はダメである

というロジックで自己否定を受け入れることから始めなければならない。しかし、そもそも「支援者」の手を借りなければできない「自立」とは何なのだろうか?

 それは支援者や世間の「言いなりになる人間」を育てることにすぎないと彼は喝破する。就労支援は職業訓練や職場体験などを通じて「やってみたけれど、ダメでした」と自信喪失させる体験であり、できない理由を探して精神科に行き何らかの病名を付け、障害者手帳の入手を促し、障害者雇用等で低賃金の仕事に甘んじることを余儀なくされる「支援」だという。行政も企業も「支援者」も、ひきこもりに「機会」は与えましたよ、でもダメでしたよね、だから正規雇用はできませんよ、と言いたいだけであり、それはむしろ「合理的排除」ではないかと言う。

 私もかつて障害者の「就労支援」の施設で働いていたので身につまされる。彼が言うほど何もかもダメではないし、希望の働き方を見つけて就職していく人もたくさんいる。それでもやっていることは「言われたとおりに黙って働ける人」になるよう訓練しているだけではないか?という疑念が晴れなかった。障害特性等によってどうしてもできないこともあるので、労働時間や仕事内容を交渉して企業側にも歩み寄ってもらう仲介もするが、ふと、それが本当に私がしたかったことなのだろうか、とも思う。

「働きたいのに、働けない」のか?

 「働きたくても、働けない」ーーひきこもり支援に限らず、若者支援や氷河期世代支援(あまりないが)、障害者支援など福祉の現場でよく聞く言葉だ。働く意思はあるけど何らかの理由で働けない、そんな人を「支援」するのだと私も思っていた。

 でも、それは本心だろうか? いや、本心の人もいるだろうけどさ、正直に言うと私はそんなに働きたくない。酒を飲んで寝ていたい。勝山氏の「生きるために金が欲しいだけであって、働きたいわけじゃないだろう」という指摘に反論できない。

 けれど、堂々と「働きたくない」と言うことには大きな抵抗がある。めちゃくちゃ言いづらい。働いていない状態の人には往々にして疑問、軽蔑、ときには憤怒、あるいは憐憫のまなざしが向けられるものである。

 自分の意思で決断し、自らの力をもって労働して稼いで、自分を食わせる。それが今の社会が求める「自立した個人」の姿である。自分で稼がないでいる人は、他人や福祉に「依存」しているとしてけなされる。生活保護バッシングなどそのよい例だ。

 誰にも頼らず、自分の足で立って歩かなければならない。そのために身を粉にして働き、他人を蹴落とし、それでいて「努力が足りなかった」と蹴落とされた人に責任を押し付けて涼しい顔をしている。ほかならぬ自分こそがそんな人間だった。それが本当に「自立した人間」のすることなのだろうか。そして「自立支援」「就労支援」の名のもとに、生きづらい思いを抱えている人を、さらに生きづらくなるような社会に送り込んでいるだけではないのか。「自立支援」を拒否し、就労を拒否し、親族や福祉制度や友人や、あらゆる頼れるところに寄生していきる「ひきこもり」は、布団から一歩も出ないで行う「人間ストライキ」なのだ。

 ……と、文句ばっかり言っている「当事者」は、福祉の支援機関だと「他責傾向が強い」とか「支援困難事例」とか言われちゃうんだろうな。(私も言ってました)

屋根がある生活のほうがマシなのか?

 いちむらみさこさんは20年前から東京の公園の「テント村」に住むホームレスだ。

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