コミュニティ財団ってもう、ダメなのかなぁ?その②・山が山であるために【石黒好美の「3冊で読む名古屋」】

 ライター/社会福祉士の筆者が追うソーシャル界隈の不正問題、深堀りの第2弾です。
なごやメディア研究会 2024.07.27
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 前回の記事でお伝えした、「一般社団法人全国コミュニティ財団協会(CFJ)」が助成金の獲得にあたり虚偽の会計書類を作成していた事件。CFJは第三者委員会からの調査報告書とともに、報告書を受けての協会の対応についても公開しました。

CFJは真因の追究を

 CFJの報告は概ねこんな内容でした。

【問題が起こった背景】

1)CFJは日本財団から助成金を受けるにあたり、「総事業費の20%」を自己負担する必要があったが、当時のCFJの財政状況ではこの負担金をねん出するのは難しかった。

2)そのため、実際には受け取っていないのに各地の地域コミュニティ財団や協会の理事から寄付金を受け取ったことにした書類を作り、総事業費の20%を自己負担したかのように見せかけて助成金を受け取った。

3)このようなことをしたのは、当時の協会の会長であった深尾昌峰氏や事務局長であった石原達也氏が「日本全国により多くのコミュニティ財団を育成したい」という大きな熱意のあまり、身の丈に合わない助成事業を受託した結果、辻褄合わせが必要になってしまったためである。

4)当時、協会は前会長の深尾氏や前事務局長の石原氏といった一部の理事だけが主要な業務を担当し、本来であれば行き過ぎた行動をけん制しあうべき理事会や監事が機能していなかった。また、協会内に法務・財務・会計等に精通した専門家がいなかった。

【この問題に対するCFJの対応】

1)コンプライアンス意識の醸成(各種規定類の整備、コンプライアンス研修の実施など)

2)内部統制の構築(理事会の定期的な開催)

3)外部アドバイザーの確保(2021年より顧問弁護士が就任しているほか、法務・財務・会計の知見を持つ社外理事の就任を検討予定)

4)会計処理を主導した石原氏とそれを容認した深尾前会長は辞任勧告に相当(深尾氏は既に2019年に退任、石原氏は6/23の辞任勧告後、すでに提出されていた辞任届を受領)

 「当時は書類もなく理事会も機能していなかったけれど、今は規定類も整えたし、理事会もちゃんとやっているし、顧問弁護士もいるし、中心となって助成金申請をした人たちは辞任しているし、もう同じことは起こしません」という報告でした。それは悪いことではないし、当然やるべきことなのでしょうが、私は「え、それだけ…?」と感じました。

 「より多くのコミュニティ財団を育成したい」という熱意のあまり、身の丈に合わない事業を行った」という部分は不問でいいのでしょうか。法律や会計についての専門家がいなかった、というのも原因の一つなのでしょうが、「受け取っていない寄付を受け取ったことにした」というのは、専門知識がなくても「良くないこと」と分かるのでは……。

 虚偽の報告をしてでも各地に新しい財団を作りたい、自己資金が準備できるタイミングを待たず、今すぐに助成金を獲得したい、と考えたことが真因では? と私は思います。規定も研修も大切ですが、なぜそこまでして巨額の助成金を獲得し、事業を行わなければならなかったのかを問わなければ「分かっているけど、大義を優先する」ことが繰り返されてしまうのではないでしょうか。

 CFJは今後、組織体制の見直しとともに「市民コミュニティ財団の役割の再検討」にも取り組むとのことですので、各地のコミュニティ財団の立ち上げ計画やプロセスに無理がなかったか、といったことも検討されることを期待しています。

多額の資金を扱う体制はあるのか

 CFJは現在、休眠預金の資金分配団体となっています。もとは誰かの預金であった何億円ものお金を管理し、他の団体に助成を行っています。虚偽の会計報告を行ったことを指摘されるまで公表せず、その後も対応が二転三転していた団体が多額の資金を扱い、また助成団体に対して指導的な立場にあることが問題視されています。

 これに関してCFJは、資金分配団体を選定する立場にある日本民間公益活動連携機構(JANPIA)が資金分配団体として適切であると認めているのだからいいじゃないか、という説明をしています。

 JANPIAの下請け企業としての説明であるならば、これでいいのかもしれないですが、問われていることはそうじゃないのでは……。コミュニティ財団や、その互助組織であるCFJは、もっと何らかのポリシーを持って設立され、運営されていたのではないのでしょうか。

 コミュニティ財団やCFJはコミュニティの中でどんな役割を果たし、何をどう支援する団体なのか。本来の理念に照らして自らの事業を見つめ直したうえでの見解が求められているのではないでしょうか。

 公表された文章の中には、ここはーーまさに偽らざる本音なのだろうなと、関係者のため息が聞こえてきそうな部分もありました。

 今回の責任の所在と処分を検討する中で、役員の多くが自身の財団経営を担う中、無報酬で重い責任を負って協会運営に携わっていること、協会運営にかかる法務・財務・会計的知見が欠けていること、収益事業がないため自己財源の調達が難しいことなど、組織運営上の課題を改めて認識しております。今後の組織運営のあり方については、上記課題を解消する方法を模索しながら、どのような組織のあり方が望ましいのか、引き続き、会員と意見を交わして検討してまいります。

 社会に放っておけない問題がある。一方ではそれをみんなの力で解決していけそうなプロジェクトがある。ぜひ一緒にやっていかないか、と誘われたり頼まれたりして活動を始めるものの、想像以上に大変だったり、仕組みが複雑だったり、責任が重かったり、もともとお金のために始めたわけじゃないとはいえ無報酬だし、それどころか持ち出しもしているし、その上何か問題が起きたらコテンパンに非難されるという。いったい自分たちは何のためにやっているんだったっけ? という「NPOあるある」みたいな話が……。

 とはいえ専門の知識がなく、他に本業がある人たちが無報酬で、1億円を超える休眠預金事業に責任を持てというのは普通に重すぎるというか、やはり受託には慎重になったほうが良かったのでは、とも思ってしまいました。※注)

「ソーシャルで稼ぐ」ことのジレンマ

 NPOの活動は普通の企業と違って、受益者、お客から対価をとる、ということが難しいものです。(例:ホームレス支援、子どもの支援など)。だからこそコミュニティ財団が必要とされるのでしょうが、収入源となる寄付や助成金だけではスタッフが食えるくらいの給料を出すのも難しい。特に学生時代とか若い時にNPOを起こした人たちは、そろそろ結婚したい、子どもが欲しいとなったとき、活動か自分の人生のどちらを取るか、という選択を迫られることが珍しくありません。

 そこで活動をやめる人もいれば、続ける人もいます。続けた人たちは老人ホームを作ったり障害者施設を経営したりとビジネスを起こしたり(いわゆる事業型NPOやソーシャルビジネス)、子どもの学習支援など行政からの委託事業を請け負うなどして資金力を高めていきました。

 公益法人改革により各地でコミュニティ財団の設立が相次いだ2000年代末から2010年代にかけては、ソーシャルビジネスが大きく注目された時代でもありました。みんなの力を集めて活動していこうという団体が、「この活動でスタッフが食えるようにしていこう」と本気で考え始めた時代だったのかもしれません。

 病児保育サービスを始めたNPO法人「フローレンス」の駒崎弘樹さんの『「社会を変える」を仕事にするーー社会起業家という生き方』(英知出版、2007年)は、事業をいかに経済的に成り立たせるかに腐心する様子に多くのページが割かれています。若いリーダーたちが「社会課題の解決」をボランティア頼みの市民活動から、ビジネスとして成り立つ事業にしていく挑戦は多くの人の共感と関心を集めました。

 同じく当時の若いリーダーでも、あいちコミュニティ財団を立ち上げた木村真樹さんは『はじめよう、お金の地産地消』(英知出版、2017年)で少し違うことを言っています。NPOやソーシャルビジネスで稼ぐことを否定はしないものの、社会や地域の課題解決に必要なのはまず「一緒に活動する仲間や支援者」であり、お金はそれでもどうにもならないときの「最後の手段」だとしています。そもそも社会課題の解決策が分かっており、かつそれに取り組めばお金になるならばとっくに営利企業がやっている。儲からなくても多くの人にどうしても解決せねばと考えられている問題ならば、行政が税金を投入しているはずだ、と。

 NPOやソーシャルビジネスが取り組む課題は両者のどちらからも漏れたニッチな分野であり、人々に問題を認識してもらうフェーズから始めて解決方法を模索しながら進める、非常に時間がかかるもの。だからこそ継続的な活動を支えるための資金調達が必要であり、そこにコミュニティ財団の役割もあると言っています。市場経済でもなく、国や自治体による管理でもない場所にこそコミュニティ財団が必要である、と。

「多元セクター」という第三極の役割

 カナダの経営学者、ヘンリー・ミンツバーグも、いま世界が行き詰まりを起こしているのは、人々が国家や地方公共団体などの行政機関「政府セクター」と、私企業による「民間セクター」の二極のみが世界の全てだと思いすぎているためだと言います。

図1:ヘンリー・ミンツバーグ『私たちはどこまで資本主義に従うのか』をもとに筆者作成

図1:ヘンリー・ミンツバーグ『私たちはどこまで資本主義に従うのか』をもとに筆者作成

 大きな貧富の格差をもたらす強欲な市場に歯止めをかけようと、政府セクターの力が大きくなれば過度の規制に走って人々の生活は制限されかえって苦しくなります。かといって政治が停滞すればビジネス界の力が増大し、GAFAのような強力民間企業が自分たちの特権をますます強固にするばかりになります。

図2:ヘンリー・ミンツバーグ『私たちはどこまで資本主義に従うのか』をもとに筆者作成

図2:ヘンリー・ミンツバーグ『私たちはどこまで資本主義に従うのか』をもとに筆者作成


 ミンツバーグは、椅子が2本の脚では支えられないように、政府セクターと民間セクター、右か左か、政府か市場かといった二元論ではうまくいかない、彼が「多元(plural)セクター」と呼ぶ、3本目のセクターが必要だと主張しています。

 多元セクターとは一般的には「第三のセクター」とか「非営利セクター」「非政府セクター」「ボランティア・セクター」「市民社会(シビル・ソサエティ)」などとも呼ばれているもので、彼の定義によればこのセクターには政府や投資家によって所有されていないすべての団体が含まれます。NPO、NGO、労働組合、協同組合、職業団体、宗教団体、趣味のサークル、結社……、コミュニティ財団も多元セクターの一つです(そのはず)。多元セクターは人々が帰属意識を抱くことができる、生活の実感にあふれた、地に足のついたコミュニティの総体です。ミッツバーグは多元セクターが政府セクターや民間セクターと対等な位置を占めることが、健全な社会のバランスを取り戻す鍵になるといいます。

 実は日本でも古来から同じようなことが語られていました。日本三大絵巻の一つ『信貴山縁起絵巻』の「飛倉」の段は、富や経済の発生の原型を表していると言われていますが、これがまさに政治・経済・社会の三本柱の話なのでした。

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