関口威人の「フリー日和 (⌒∇⌒)□」その10・「専門」の見つけ方

 なメ研代表理事/ジャーナリストの関口がフリー稼業の裏側と、ゆるりとした生き方について記します。
なごやメディア研究会 2023.10.28
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 おかげさまで10月例会は(コロナ禍以降のなメ研としては)大盛況となりました。

 ゲストにお招きした岩永直子さんの記者人生における筋の通し方、読者目線の貫き方は大いに学びや刺激になるものでした。参加できなかった会員の皆さんは、ぜひ招待メールにあるリンク先から動画をご覧ください。ご新規の方は、本稿の最後に会員専用ページのリンク先とパスワードを貼っておきますので、そこから(過去の例会動画も含めて)自由に見ていただければと思います。

新聞社とネットメディアを経てフリーになった経緯を語る医療記者の岩永直子さん

新聞社とネットメディアを経てフリーになった経緯を語る医療記者の岩永直子さん

名古屋・錦2丁目の会場「スペース七番」はちょうどいい具合に埋まり、皆さん熱心に聴かれていました(10月25日、美崎真緒カメラマン撮影)

名古屋・錦2丁目の会場「スペース七番」はちょうどいい具合に埋まり、皆さん熱心に聴かれていました(10月25日、美崎真緒カメラマン撮影)

 さて、そんな岩永さんに刺激されて僕もいろいろと考えましたが、このコラム向けには「専門性」をテーマにしたいと思いました。「医療記者になる」という信念を持って走り続けてきた岩永さん。じゃあアナタはどうなの? と言われると…すみません、かなりイイカゲンでしたという話です。

新聞社の「縦割り」越えたかったけれど…

 もともと大学で「建築」を選んだのも、絵が好きだったけれどそれで食っていこうとするほどでもなく、比較的好きだった物理が生かせそうなのが建築かなと思ったという程度。それも中途半端に投げ出して今度は「新聞」の道を選んでしまったわけですが、在職中は特に専門性を意識していたわけではありませんでした。むしろストレートな新聞記者志望ではなかったからこそ、社内の縦割りを越えるのが自分の役割かなとは考えていました。

 新聞社というのはご存知のように社会部や政治部などを筆頭に、経済部や運動部、生活部、文化部、科学部…などの部署に分かれます。(その他、僕の振り出しである紙面レイアウト担当の整理部、制作部や販売、営業、もちろん経理などの事務部門もあります)

 ろくな予備知識のないまま入社した僕にとって、それは「職種のデパート」と呼ばれるのが納得できる多様な組織でした。とはいえ、一つ一つの部署や担当はタコツボ化しているように感じられました。

 社会部も基本は「なんでもあり」の部署なんですが、警察担当や県政・市政担当などに分かれていくと、みんなすすんでそのツボに入り込んでしまう。そこが僕にとっては不思議で、まさに入り込めない世界に感じてしまいました。

 記者個人が「好きなことをやりたいけれどできない」という程度の問題ならまだいいのですが、僕はそこに現実社会とのズレがありそうな気がしてしまったんです。

社会部時代は普段の担当だった守山警察署管内に陸自の第10師団司令部があるという理由だけで「自衛隊担当」もしていました。この写真は2006年、滋賀県の饗庭野演習場で取材したときに広報隊員が撮影してくれたもの。Facebookのプロフィール写真はこれが元になってます

社会部時代は普段の担当だった守山警察署管内に陸自の第10師団司令部があるという理由だけで「自衛隊担当」もしていました。この写真は2006年、滋賀県の饗庭野演習場で取材したときに広報隊員が撮影してくれたもの。Facebookのプロフィール写真はこれが元になってます

 例えば食品偽装などの問題は、社会部的な事件になる可能性もあれば、経済の問題でもあり、生活の問題であり、ときには科学や医療の分野ともかかわる可能性があります。でも、なかなか部署を超えてさっと取材チームを組むような例は多くありません。

 市町村や県境、あるいは国境をも越える環境問題や、(入社当時はさすがに想像できませんでしたが)感染症というテーマも同じように分野横断的です。

 そういった新しい社会の課題に、新聞社の「縦割り」は追い付いていけるのでしょうか。

 もちろん、担当や部が変わっても一つのテーマを追い続け、成果を出す記者も大勢います。最近の「南海トラフ地震の発生確率」の不確かさを明るみに出した小沢慧一記者や、「特攻のメカニズム」に迫った加藤拓記者、福島の甲状腺被曝の問題を追い続けた榊原崇仁記者など、いずれも中日・東京新聞の後輩で、素晴らしいなと思います。

 また、編集委員レベルだと既存の枠にとらわれない社会課題に対応して、比較的自由に取材をされているように見えます。今はメディアに調査報道の部署を立ち上げる動きもかなり出てきました。

 記者が一つのテーマや専門性を突き詰めるには、個人の熱意や問題意識だけでなく、周りの理解や環境づくりも欠かせないはず。それが会社に限らず、もっと社会のいろんな場面にあっていいと思うのです。

肩書きを単なる「ジャーナリスト」にしたわけ

 こんなふうに言う僕は、社内ではたいした提案も成果も出せず、とりあえずエイヤッと飛び出してしまったわけですが…。

 やりたかったことは、少なくとも2つありました。

 1つは「環境」。これを意識したのは三重県の四日市支局にいたとき。ご存知のように「公害」の歴史的な現場や人と接しながら、それと地続きにある現代の「環境」問題とは何だろうかと考え続けたからです。

 また、ちょうど退社するときに名古屋で環境メディアが立ち上がる(すぐになくなりましたが)という話と、2年後には生物多様性の国際会議(COP10)が名古屋で開かれるというタイミングもあり、まずはそれらを取材活動の足掛かりにしようと決めました。

 もう1つは「防災」。これについてはまた別に書かせてもらおうと思いますが、建築から物書きに転身した理由の1つであり、僕の原点とも言えます。

 特に社会部時代の2004年に新潟県中越地震のボランティア同行取材をしたことがきっかけで、防災の中でも災害ボランティアやNPOに注目するようになりました。フリーになると同時に災害救援NPOでアルバイトをすることになったのも、その流れからです。

 なので最初、フリーとして肩書きを考えるときに「環境ジャーナリスト」とか「防災ジャーナリスト」とかと名乗るべきかとも考えました。

 でも、結局どちらにも振り切れず、とりあえず「ジャーナリスト」でいいかとなって今に至っているところです。

 だから「フリーの記者として専門は何ですか」と聞かれると、まず「環境と防災です」とは答えています。

 ただ、その2つを軸にしながら、受けられる仕事はなんでも受けてきました。名古屋ローカルも1つの軸なので、河村市長も追い掛けますし、名古屋入管の問題もフォローしています。たぶん東京のメディアの人たちにとっては「名古屋駐在特派員」みたいな感じで使ってもらっているのでしょう。

ヤフー個人のページを作るため名古屋駅前で川柳まさ裕カメラマンに撮影してもらった写真。もう10年前になるのでそろそろ撮り直さなきゃいけないですね…

ヤフー個人のページを作るため名古屋駅前で川柳まさ裕カメラマンに撮影してもらった写真。もう10年前になるのでそろそろ撮り直さなきゃいけないですね…

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