松岡正剛と「イシス編集学校」と私の希望・石黒好美の「3冊で読む名古屋」⑩

ライター/社会福祉士の筆者が、名古屋にまつわる本をキーブックに、関連する2冊の本とあわせて読みながら世のありようを問います。
なごやメディア研究会 2024.08.31
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なぜ役所と企業と大衆のなかに、
なぜNPOとネットワークと地域のなかに、
痛快なコミュニティが生まれてこないのか。
実は大衆と社会がコミュニティを嫌っているからだ。
けれども、本気のコミュニティを作れなくて、
何が社会改革なの? 何が「絆」なの?

 8月12日に松岡正剛さんが亡くなった。単著・共著を合わせれば発刊された著作は100冊以上、1800冊以上の本との交際や格闘ぶりを綴ったサイト『千夜千冊』、「伝説の雑誌」とも言われるオブジェマガジン『遊』の編集者であり、「編集工学」の提唱者で編集工学研究所所長であり、数々のイベントや映像作品のプロデュースも手がけ、近年では『角川武蔵野ミュージアム』の館長として、多くのメディアで訃報が伝えられた。

 しかし私にとっての松岡正剛は何よりも「校長」だ。私が松岡正剛を知ったのは、「編集術」を学ぶ場として彼が2000年に開講した「イシス編集学校」の門をくぐった時だった。膨大な著作とともに彼が遺した唯一無二の作品であるイシス編集学校のことが書かれているメディアがほとんどないこともあり、私は一人の受講生としての立場から、この学校のことを書いてみたいと思う。

編集学校に入ると仕事がデキるようになる?

 私がイシス編集学校に入門したのは2013年、まだサラリーマンだった時のことだ。もとより文章を書くのが好きだった私は、職場で関係先の方のインタビューをして記事にまとめ、サイトに掲載するという仕事を喜び勇んで担当した。書いた記事を意気揚々とインタビューイーに確認してもらうと「この記事では私の伝えたいことも、私の人柄も全く伝わらない」と怒られ、全て書き直しになってしまった。ショックのあまり、きちんと文章を書く勉強をしようと、かねてから友人知人に勧められていた編集学校に入ることにしたのだった。

 先にイシスで学んでいた友人たちは文章が上手いのはもちろん、すごく仕事ができた。行き詰まっている人の話を聞けば、本人も気づいていなかったような悩みの原因を指摘し、モメにモメてごちゃごちゃになっている組織があればさっと現状を整理し、まず手を付けるべきタスクを提案する。自分もこんな風に仕事ができたら、と思っていた。

 イシス編集学校はインターネット上の学校だ。ネット上に設えられた「教室」には、職業も年齢も住んでいるところもさまざまな10名ほどの「学衆」が所属する。出される「お題」を読んで回答を送信すると、編集のコーチである「師範代」から回答に対する「指南」が送り返されてくる。

 受講してほどなくして、この「師範代」のすごさに気づいた。師範代は「編集術」に通じていて、学衆に編集のいろはを伝授する人……でもあるが、もっと大きな役割がある。師範代は私がそれまで通ったどの学校の「先生」とも違った。師範代は学衆の思考のプロセスをまるごと受容し、その人がもっと生き生きと前に進める方法や、可能性を広げる方向を指し示す役割である。私が憧れた友人たちのふるまいは、まさに「師範代」そのものだったのだ。(実際に、師範代経験者でもあった)

イシス編集学校のパンフレット。守・破・離などのコースがあり、文章の読み方、書き方から物語づくりやビジネスのプランニングなどさまざまな情報編集を学ぶ

イシス編集学校のパンフレット。守・破・離などのコースがあり、文章の読み方、書き方から物語づくりやビジネスのプランニングなどさまざまな情報編集を学ぶ


「受容」とは何か?

 師範代は受容するロール(役割)だと書いたが、私は師範代に出会ってからというもの、それまでに抱いていた「受容」の概念が大きく変わった。

 ソーシャルワーカーやカウンセラーになる勉強をしている人たちは、クライエント(相談に来た人、支援される人)を「受容」することが支援の要、一丁目一番地であると教わる。

 このときの「受容」とは、「相手を否定せず、ありのままを受け入れること」とされている。けれど、なぜかこれが上手くいくことがなかなかないのである。たとえば「もうつらくてつらくてたまらない、もう死んでしまいたい」というクライエントに「そうなんですね、つらいんですね、死にたいんですね」と応じても「あなたも全然分かってくれないんですね」と余計に絶望させてしまったりする。セオリー通り、一つも否定していないし、徹頭徹尾受け入れているのにも関わらず、だ。

 私たちはある情報をインプットしたら、頭の中でいろいろ考えた上でアウトプットする。同じ花の写真を見ても「きれいですね」と言う人もいれば「チューリップだ」「高そうだな」「どこで撮ったんですか?」「加工しすぎじゃないの」「オランダでは投機の材料だったこともあって」と喋り出してしまう人もいるのは、インプットからアウトプットまでの間に頭の中で起こっていることが人によって違うからである。そんなこと当たり前じゃないかというかもしれないが、ではどんなことが起こっているのか? といわれると明確に取り出せなかったりする。イシス編集学校で学ぶのは、このブラックボックスになっているインプットとアウトプットの間で起こっていることを取り出す方法なのである。

 私たちは「チューリップだ」「高そうだな」「加工しすぎ」あるいは「死にたい」というアウトプットばかりに目を向けて、ここだけを否定せず受け入れれば良いと考えがちだ。でも、本当に相手に理解してほしい、分かってほしいと思うことは、このブラックボックスも含めた部分(茶色の囲みの部分)ではないだろうか。

 「借金があって」(Input)→「死にたい」(Output)というクライエントに対し「死にたい」だけを受け止めていては「分かってもらえた」とは感じてもらえない。

 「借金があって→返済が苦しくて→この状況から何とか逃げ出したくて→死にたい」なのか、「借金があって→返さなきゃいけないのに→返せない自分が情けなくて→死にたい」なのかではずいぶん違うはずだ。分かってほしいのは太字の部分なのだ。これによって債務整理をすすめるのか、ルールを守れない自分を厳しく否定する心情にはたらきかけていくのかが決まるはずであって、何としても自分は借金を返すという正義感にあふれている人に「自己破産という手段もありますよ」といきなり勧めても受け入れられないのは当然である。

 この話は「氷山モデル」や「ニーズとウォンツ」といった言葉で心理学や社会福祉の分野でも説明されるのでよく知られているけれど、ではどうやって氷山の下に隠れた部分を発見するのか? といった具体的な方法については、現場で身につけましょうとか、支援者ごとの勘や経験に頼るところが大きいように思う。イシス編集学校の基本コースで学ぶ編集の「型」は、このブラックボックスで行われていることを推論し、情報を整理して取り出すための強力なツールになると私は思った。そして、師範代は相手のブラックボックスから取り出した情報とクライエントが置かれた状況を照合して、進みたい方向へと向かう方法を示す人である。

なぜ、ボランティアばかりで運営できるのか?

 私はこの「師範代」というロールにいたく感じ入ったのだが、イシス編集学校には専任の講師や先生は1人もいない。毎期、基本コースと応用コースを合わせて30教室ほどが開講されるが、どの教室の師範代も本業を持ちながら「師範代」として学衆から送られてきた回答に指南を付けているのである。師範代にはエンジニアもいれば医師もおり、美容師だったり大学生だったり、経営者だったり主夫/主婦だったりする。師範代になるための養成コースがあるが、基本コースに入門してから最短で1年半ほどで師範代になる人が多い。「教わるロール」が短期間で「教えるロール」に変わることのできる仕組みができている。

 この仕組みもすごいが、私がいま最もすごいと思うのは、この学校がほとんどボランティアで支えられ、運営されていることだ。学校の事務的な業務を執り行う部門の人たちは雇用されているものの、実際に講座を担当する師範代や師範といった指導陣は先述したように他に本業を持ち、それと並行して編集学校の運営にも関わっている。(師範代には謝金が支払われるが「有償ボランティア」というのが相応しい程度のものである)

 昼間は仕事をして、帰宅したのち10人の学衆から次々届く回答から「ブラックボックス」の部分を読み取り、指南を書いて返していく。時間的にも精神的にも簡単なことではないが、師範代は誰もかれもが面白くって楽しくって仕方がないという風情で、夜となく昼となく学衆の情報編集のプロセスをトレースしては、もっと発想を豊かに膨らませていく方法を思案し綴っている。自身を深く受容され、またその師範代の熱中ぶりに打たれた学衆も編集学校での学びにのめりこみ、新たな師範代になる。2000年の開講以来、現在までにゆうに1000名を超える師範代が生まれている。

 お金のためでもなく、何か一つの大義名分のためでもなく、ただこの楽しく、発見に満ちた学びの場を維持、発展させたいという気持ちだけで多くの人が集い、積極的に知恵や時間を与え合って「イシス編集学校」を作っている。企業もNPOも、自治体も家族も、町内会も学校も、こんなコミュニティが作りたいと思って叶わないでいることを、イシス編集学校は成し遂げているということが、私は本当にすごいと思う。ある程度のリテラシーがあり、10万円程度の受講料を支払える力がある人にメンバーが限られるとはいえ、何千人もの人が熱心にもライトにも、好きな態度で関わり続けられるボランタリーな組織が成り立っているということが、私にとっては希望だ。

 小学生から80代まで、ビジネスマンから芸術家まで、さまざまな属性の人が協同していけるのは、「主題」ではなく「方法」で繋がっているからだと私は思う。

 かつて松岡正剛の薫陶を受けた編集者の野田努さんも書いているように、校長は早稲田大学で学生運動をしていた、つまりガチガチに「主題」の人であったと思う。しかしその主題、「大きな物語」による社会変革の意志の行方がどうなったかはよく知られている通りである。

 校長がどんな艱難辛苦を経て「方法」に辿りついたのか、私の想像ではとても及ばないけれど、自分も貧困問題に関わるようになって「主題」、正しさ、単一の目標や主張だけを押し進めようとする社会運動は大切だけれど、その限界もとうに来ているように感じていた。

 けれど「方法」ならば、主義主張が違う人ともつながれる。「何が」(what)正しいか、という議論では物別れに終わるだけだが、その人が「どのようにして」(how/why)その考えに至ったかというブラックボックスを解いて分かち合うコミュニケーションができれば、協同の回路は開かれる。私がイシス編集学校に感じている希望はそこなのだと思う。

 イシス編集学校を取り巻く人たちの熱狂ぶりを、カルトのようだと揶揄されることもある。実は私も入門するまでは、松岡正剛を「教祖」にした宗教みたいだ、と感じていたことを白状する。

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