石黒好美の「3冊で読む名古屋」⑦ 戦わなければ生きていけない…何と?
【今回の3冊】
・『あとかたの街(1)~(5)』(おざわゆき、講談社)
・『モダンガール論』(斎藤美奈子、文春文庫)
・『女の子たちと公的機関』(ダリア・セレンコ、エトセトラブックス)
生きる意味を与えてくれる
Twitter(X)を見ていたら、風俗嬢を名乗るアカウントが、ホストにハマる心境について次のように語っていて、なるほどと深く納得してしまった。
自己肯定感が低くて自分のために頑張れないんだゆ🥹
目標もなくて自分の人生をどう生きたらいいかわからないしゴールもなくて途方に暮れてるけど、ホストはタワーやバースデーてゆう目標を与えてくれて方向性や頑張る意味をくれるゆ🥹
それは一時的なものかもしれないけどみんな自分は間違ってないって確証がほしくて誰かと同じ方向を向いて歩いていきたいんだゆ🥹
けれど、私たちは「分かりやすい目標」や「生きる意味」や「誰かと一緒に同じ方向を向ける」もっと大きくてもっとトラディショナルな方法を知っている。戦争だ。
戦争は「圧政を敷いている独裁政権を倒す」とか「虐げられている民衆を解放する」とか「攻め込まなければこちらが侵略される、大切な人たちを守るためだ」といった分かりやすい目標を私たちに与えてくれる。頑張る意味も教えてくれるから、苦しい生活に耐え忍ぶこともできる。みんなで一緒に同じ方向を向いて、正義や明るい未来へ向かって歩いていけるという希望だって持つことができるのだ。
リベラルな女ほど戦争がしたかった
長引く不況。有効な施策を打ち出せない政府。文化の退廃とエロ・グロ・ナンセンスの流行。そこに新しい市場をひっさげた革新的な勢力が登場。政府をきびしく批判し、新しいビジョンを示したらどうだろう。拍手喝采をもって迎えられると思いませんか?
思います!
思いますよね、いま、まさにそんな政治勢力が現れてほしい。渇望しています。
でも、これは満州事変に始まる日本の「十五年戦争」当時の様子を描いたものなのだ。大正時代から続く長い不景気にふさぎ込んでいた日本の人々は、開戦を熱狂的に歓迎した。国を守る、発展させる、敵を倒す。戦争に具体的な目標と頑張る意味を見出して、自らすすんで苦難に耐え、身を捧げていたのだった。
『モダンガール論』では、大正から昭和にかけて、旧来の女性役割にとらわれない「進歩的」な「女性知識人」たちが「女も国のために働ける!」と熱狂的に戦争に協力していった様子が描かれる。女学校で習った裁縫の技術を生かして慰問袋を縫い、戦没遺族や陸軍病院の慰問、街頭での募金活動といった「女性ならではの感性」を生かした奉仕活動をする。徴兵で働き手を失った農村や工場での肉体労働も、女性の職域拡大、社会進出、自己実現の機会だと歓迎していた。リベラルな女ほど翼賛的だったのだ。戦争に協力することこそが「革新的」な生き方だったのだから。
彼女たちには「国に強制された」という気持ちはなかったはずだ。女だからと家庭に押し込められることなく、自分の力で社会に貢献できる。当時はそれが戦争で、今はビジネスやNPOだったりするだけで、彼女たちと私たちの考え方はさして変わらないのではないか。
戦争とは違う、と言われるかもしれない。けれど、何十年か後からみたら、私たちがいま一生懸命に取り組んでいることがあの戦争みたいに扱われないという保証はあるのだろうか。SDGsとかDXとか、ダイバーシティとかリスキリングとか、ナントカ改革とか…。なぜ、そんな勝ち目のなさそうなことを大真面目にやっていたの? 正義だといって、実は誰かを踏みにじっているのに気づかなかったの? と。戦争だって、当時はみんなが信じる「正しさ」のためにやっていたはずなのだし。