石黒好美の「3冊で読む名古屋」⑥ きれいごとにしたくない

 ライター/社会福祉士の筆者が、名古屋にまつわる本をキーブックに、関連する2冊の本とあわせて読みながら世のありようを問います。
なごやメディア研究会 2023.10.22
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【今回の3冊】

『エゴイスト』(高山真、小学館文庫)

『フィリピンパブ嬢の社会学』(中島弘象、新潮新書)

善意にまみれたエゴイスト

 失業保険の再就職手当を全額注ぎ込んでザ・リッツ・カールトン大阪に泊まった。初めての転職を決め、新しい職場に出社する一日前だった。16年前、私はまだぎりぎり20代で、「自分はもっとできるはず」と意気込んで田舎を出て、全く経験もないのに名古屋のIT企業で働くことになった。

 美人でもなく愛嬌もなく、特別に仕事ができるわけでもなく、ずっと自信がなかった。そのくせ自分は人とは違う何者かであるはずだというプライドだけは高く、それを誰にも悟られまいとビクビクしていた。

 高山真さんのエッセイはそんな自意識を高らかに、徹底的に笑い飛ばしてくれた。かつ「それはアナタのパーソナリティでもあるけど、オンナの子が “そうならざるを得ない” のは、社会規範の押しつけやルッキズムの問題でもあるわよね」とも諭してくれた。彼の書くものには、ゲイとして生きてきた自らの生い立ちからくる社会への絶望、マトモなふりをしている世間を笑い返してしたたかに生き抜く方法、偏見や常識とされていることに縛られ、自分らしく生きられない人たちへの深い思いやりがあった。

 大阪に来たのは高山さんが二冊目の著書を出版し、トークイベントをすると聞いたからだ。私はあなたの本を読んで、もっと自分の欲望を肯定していいと分かって、タフに生き抜くためには芸術から学んで教養と謙虚さとユーモアを身に付けることが必要だと知って、生まれて初めて親や周りの反対を押して、明日から自分の道を踏み出すところなんです、と震える声で、ドルチェ&ガッバーナを着た高山さんに伝えた。安月給で買ったペラペラの一張羅でリッツカールトンにチェックインしたときよりも緊張した。

 都会でたくさんの人と協力したり交渉したり、勘ぐったり笑いあったり、裏切ったり分かち合ったりする経験を経て、高山さんの言葉にすがらなくても肩の力を抜いて生きられるようになってきた。むしろ頑なだった自分を思い出すようで恥ずかしく、しばらく高山さんの著作から離れてすらいた。そんな折、彼の小説『エゴイスト』が映画化されると聞き手に取った。

 自身をモデルにした主人公が、美しい恋人(これも高山さんの恋人がモデル)を、その病身の母親も含めて献身的に支えるという筋書きだ。母の治療費を稼ぐため働きづめの恋人を、都心の出版社に勤める主人公はその圧倒的な財力をもって援助しまくる。遠慮する恋人とその母を「私がしたいだけだから」と、相手の負担にならないようにと説き伏せつつ、有無を言わせず10万円、20万円と手渡し車まで買い与える。

 IT企業に勤めたはずが、その後なぜか福祉関係に進んでしまった私としては「ここは生活保護だよ」「高額療養費制度使えないの?」と、つい「支援者目線」で読んでしまい、素直に物語に入りこめなかった。与えすぎなのである。彼が与えるばかりで全く恋人やその母の「自立を助長」していない。もっと公的な制度に頼ったほうが、誰も無理しないで暮らせるのに…とまた社会福祉援助のセオリーが顔を出す。

 後に恋人からもその母からも、この上なく手痛い方法で彼の援助は拒絶される。読者は三者の間に成り立っていたはずの美しい信頼関係が、あくまで主人公からのみ見えていた景色であったことに気づく。

 善意からもたらされる十分な援助。ありがたさと、頼らずにはいられない自分の無力さ、申し訳なさ、恥ずかしさ。拒否することもできないうしろめたさ。これらを表現する言葉を持たないもどかしさ。若い恋人と病気の母親が持っていたはずの複雑さを見ようとせず、純粋で美しい「弱者」としてのみ扱い、主人公は援助の名のもとに傲慢にふるまっていたのではないか。『エゴイスト』というタイトルの意味が重くのしかかる。

 最初から生活保護なら良かったのだろうか?いや、恋人やその母を「援助されるしかない弱者」とだけとらえていたのは私も同じだ。私財の投入か公の制度を使うかの違いはあれど、相手を無力な存在としてコントロールしようとしたことには変わりないのではないか。

矛盾を受け入れるしたたかさ

 その点『フィリピンパブ嬢の社会学』には爽やかさすら感じる。日本に出稼ぎに来たフィリピン人女性について研究するつもりの大学院生(著者)が、フィールドワークのつもりで行った栄4丁目のフィリピンパブで働くミカと恋仲になった挙句、彼女のヒモ同然の暮らしをするようになる、というノンフィクションだ。

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