地下鉄東山線で『ロリータ』を読む・石黒好美の「3冊で読む名古屋」⑮

 ライター/社会福祉士の筆者が、3冊の本から時代を深読みします。
nameken 2025.12.20
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【今月の3冊】

『ロリータ』(ウラジーミル・ナボコフ/若島正:訳、新潮文庫)

『テヘランでロリータを読む』(アーザル・ナフィーシー/市川恵理:訳、河出文庫)

『エロってなんだろう?』(山本直樹、ちくまプリマ―新書)

『ロリータ』で悶絶する

 イシス編集学校で編集コーチ(師範代)を務めるとご褒美に本がもらえる。私は3年前に『テヘランでロリータを読む』をいただいた。

 1978年のイスラーム革命後、超保守的な全体主義国家となったイランでは、日常生活の些細なことでも反体制派と見なされれば厳しく弾圧されるようになった。著者のナフィーシーも、顔や体を覆うヴェールの着用を拒否したためにテヘラン大学から追放された経験を持つ。彼女の教え子も政治犯として投獄され、処刑された学生もいる。革命政権からの抑圧と不安の中、「西洋的頽廃」の象徴とされた英米文学を命がけで読んだ女性たちの物語である。

 ナボコフ、フィッツジェラルド、オースティン、ヘンリー・ジェイムスの作品の中から、彼女たちは今いる世界が全てではないことを知り、困難に立ち向かう登場人物に共感したり反発したりしながら生きる力を得ていく。同時に、テヘランの厳しい日常と重ね合わせて読む彼女たちならではの独特の作品の解釈が生まれ、名作に新たな息吹が吹き込まれていく。

 ……という本なのだが、そもそも私はナボコフの『ロリータ』を読んだことがなかったと気づいた。「ロリータ・コンプレックス」の語源となったことで広く知られるあの本である。新潮文庫が胸焼けするような、どピンクのカバーで売り出していたので、一冊買って鞄に入れ、移動中に読むようになった。

 「おっさんが年端のいかない女の子をどうこうする話なのだろうな」と思って読み始めたのだが、想像以上にその通りで驚いた。おっさんがいやらしい目で舐めまわすように少女を見つめる姿。おっさんが女の子(ロリータ)を社会から遮断し、逃げ場のない状況を作り囲い込んでゆく過程。おっさんが昼となく夜となくロリータを弄ぶ様子。これらがねっちりと微に入り細に入り詳細に描かれる。ほぼポルノでは?こんな本を地下鉄で読んで大丈夫かしら?と急にキョロキョロして挙動不審になってしまう。

 書いてあることはまごうことなき性犯罪で、児童虐待以外の何物でもないのだが、はっきり言ってめちゃくちゃ面白い。少女の肌や髪のなめらかさ、しぐさの可憐さ。瑞々しい風景の数々。やっていることは吐きそうに最悪なのに、巧みな描写にうっとりしてしまう。あろうことか変態小児性愛者に感情移入しそうになり、そんな自分が気持ち悪くなるが止められない。世界のあらゆる名作からの引用やパロディがこれでもかと散りばめられているのにも舌を巻くし、アメリカ各地を巡るロードノベルとしての楽しみもある。実は巧妙なミステリーにもなっており、頑張って最後まで読んだ人はきっと二度、三度と読み返さずにはいられないだろう。

 しかし、何度も言うが描かれていることは少女への虐待なのである。……これを、面白がっていいのだろうか? 名古屋市内の小学校で生徒を盗撮していた教師が逮捕された事件がありましたけど、最悪じゃないですか? 絶対に許せないじゃないですか。……なのに『ロリータ』をこんなに面白がっていいのでしょうか?

 『テヘランでロリータを読む』の中で『ロリータ』を読んだテヘランの女学生も同じことを思う。

『ロリータ』や『ボヴァリー夫人』のような物語が――こんなに悲しく悲劇的な物語が――私たちを喜ばせるのはなぜかしら? こんなにひどい話を読んで喜びを感じるのは罪深いこと? 同じことを新聞で読んでも、自分で経験しても、同じように感じるのかしら? このイラン・イスラーム共和国での私たちの生活について書いたら、読者は喜ぶかしら?

『テヘランでロリータを読む』

 革命後、イランでは結婚の最低年齢は9歳に引き下げられ、姦通と売春は石打ちによる死刑と定められた。女性たちはヴェールの着用を強制され、マニキュアも色のついた靴下も禁止された。家族以外の男性と外を歩いたり、公園でソフトクリームを食べたりリンゴをかじったりするだけで逮捕された(その姿が「なまめかしすぎた」からだそうだ)。どこにも行き場がないままハンバートとセックスさせられ、何度も抵抗を試みるも失敗して心を挫かれるロリータの姿に、テヘランの女学生は自らの置かれた境遇を重ねた。それでも、この小説を「面白い」と感じられるのはなぜなのだろう。

現実かフィクションか

 1980年代から40年にわたってエロマンガを描き続けている山本直樹さんは、性行為を描くにあたって「性欲の対象となる相手をどう扱うか」に心を砕くといいます。

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