秦融の「メディア探策」〜『嫌われた監督』を読み解く⑤ 大谷のセーフティバント
落合采配の「謎」として取り上げられることが多い荒木雅博と井端弘和の二遊間同時コンバート。その真意はどこにあったのか、そして『嫌われた監督』が作品の中でどのようにその謎を解いているか、話を進めてきた。今回は、侍ジャパンの劇的な優勝で終えたWBCをめぐる落合博満の見解から、コンバートとも関連する独自の野球観に踏み込んでみたい。(敬称略)
日本のWBC優勝を伝える新聞各紙の3月23日付1面(撮影・関口威人)
落合の野球観は、かつてと今とでおそらく大きく変わってはいない。WBC準々決勝でのイタリア戦の3回1死1塁でセーフティバントを試みた大谷翔平についての否定的なコメントで、確率論をベースにする落合の野球観は変わらないな、と思った。
予想もしなかった大谷のセーフティバントには、ファンや専門家を問わず賞賛の声にあふれていた。プライドを捨てて勝つことに徹した結果、チャンスが広がり一挙4点のビッグイニングにつながった。そのプレーに対し、どこからも批判的な声は聞こえてこなかった。
試合から3日後の3月19日、落合が出演したTBSテレビ「サンデーモーニング」のスタジオ内も、そんな雰囲気だった。共演の中畑清(元巨人、野球解説者)は「あのプレーで球場全体の雰囲気が変わった」と現地で観戦してきた印象を興奮気味に語った。
ところが一人、落合は「俺だったらやらない」と言い切ったのだ。その強い口調にスタジオ内が「エッ?」という雰囲気になった。落合は構わず、こう続けた。
「クリーンアップですから。普通はそう考えます。ましてや1アウトだしね。たまたまエラーになったことも重なっての攻撃パターン」
何を言い出すのだろうか、と画面に注目した私は、このコメントを聞いたとき「落合さんらしいな」と思った。落合は、少し言葉を足した。
「アウトになったら、2アウト・セカンドでしょ?」
このコメントがポイントだった。
落合の合理的な野球観のベースにある確率論の視点で、あの場面を読み解いてみたい。
一般的に、セーフティバントが安打になる確率は、かなり低い。実際、大谷のバントも投手の守備範囲に転がり、落合が指摘した通り、アウトになってもおかしくはなかった。
「アウトになったら2アウト・セカンド」
それが、大谷がセーフティバントをした場合に、最も高い確率で予想される「結果」だというのが落合の指摘だと思われる。そうなった場合、強打者・大谷が普通のバントをしたことと変わらず、そのプレーはむしろ、得点への可能性をしぼませる結果になる。
さらに、2アウトになれば後がなく、次打者の吉田正尚(レッドソックス)に「ヒットを打つしかない」という重圧がのしかかる。国際舞台でそのようなプレッシャーが一人の打者にのしかかった場合、いかなる巧打者といえどもヒットを打つことは容易ならざることだ。現役時代に3冠王3度、監督歴8年の経験からそのことを熟知する落合は、大谷がセーフティバントをすることは、得点する確率を下げる行為ーそう見たのではないだろうか。
スタジオでは「エラーじゃなくて内野安打ですから」(中畑)という指摘が飛んだが、落合は「うまいピッチャーだったらアウトにしてる」と反論。さらに「あとがつながったから価値があるんだって。あとのバッターの方が大変だったと思いますよ」と話し、それ以上議論が深まることはなかった。
得点につながる確率が下がる選択をしたことが、気に入らなかったのだなー私はスタジオでの落合の反応をそう解釈した。
私が知る限り、落合の野球観は、打撃も作戦も基本は確率論から組み立てられており、いわゆる奇策は好まず、偶然の結果は評価しない。『嫌われた監督』にも、こんなフレーズがある。
落合が求めたのは、日によって浮き沈みする感情的なプレーではなく、闘志や気迫という曖昧なものでもなく、いつどんなときでも揺るがない技術だった。
より確率の高い選択肢を選ぶ時には「揺るがない技術」こそが必要だというのが、落合野球のベーシックな考え方だ。強打者・大谷がとっさにやったセーフティバントに揺るぎない技術があるとは思えず、否定的なコメントをしたのではないだろうか。
仮に、大谷がプライドを捨てて勝利への執念を示したことがベンチの仲間のさらなる闘志や気迫につながった、という見方があるとすれば、それは落合が評価する「成功のプロット」にはならない。奇策はあくまで奇策に過ぎず、偶然、うまくいったことは相手のミスなど想定外のことが絡んでいるのであって、より高い確率の一手を着実に選んでいく、という落合流の作戦としての評価には値しない、ということになる。
では、落合はあの場面でどのように試合を動かすべきだと考えるのか。スタジオではそこまで話が進まなかったので、ここで私なりに確率論からの「答え」を探ってみたい。