会社を辞めて福祉の世界に入ったら「草の根ささえあいプロジェクト」がすごかった・石黒好美の「3冊で読む名古屋」【番外編2】

ライター/社会福祉士の筆者による連載の番外編、2回目です。
なごやメディア研究会 2024.03.16
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始まりは「穴を見つける会」

 親にも男にも頼らず、私は一人で生きていくんだわ、とがむしゃらに働く社畜だった私が『ビッグイシュー』のボランティアにはまり、挙句会社を辞めてしまったのが、2011年の夏だった。(前回のお話はこちら

 「通信制の大学で社会福祉士の勉強をしながら、福祉関係の仕事をしよう」とフワっと考えていたけれど、30歳を過ぎて何の資格も経験もない人をやすやすと雇うほど福祉業界は甘くなかった。どうしようかと思っていたときに大学の後輩から紹介されて行ってみたのが、一般社団法人草の根ささえあいプロジェクトの前身となる「穴を見つける会」だった。

 「普段の支援のなかで、穴に落ちている人はいませんか?」ーー当時、障害者支援の仕事をしていた渡辺ゆりかさん(現:草の根ささえあいプロジェクト代表)は、ある講演会で社会活動家の湯浅誠さんが投げかけたこの問いについて考えるために「穴を見つける会」を始めた。

 「穴」というのは、本来ならば何らかのサポートが必要なのに、制度と制度の狭間にあって、役所からも支援団体からも見過ごされてしまっている人が陥ってしまっている状況のことだ。

 たとえば、どの自治体にも「地域若者サポートステーション」という、働きたいけど働けない若者を支援する窓口があるのだが、当時は対象年齢が15~39歳までだったので、42歳のひきこもりの人は相談ができない、ということがよくあった。(※現在は15~49歳までが対象となっている)

 生活保護を受けたいけれどどうしても車が手放せないとか、明らかに精神障害や認知症があるのに本人が頑なに受診を拒むので福祉サービスが一切受けられず家族が疲弊しきっているとかいった状態のことである。どうしても「制度」は「対象者」を「ここからここまでの人」と区切るので、その枠の中に入れない人は支援が受けられなかったりする。

 行政の職員であれ民間団体であれ、福祉関係者ならこうした人の存在はうっすら、あるいははっきり視界に入っているのだが「分かっているけれど、どうしようもないよね」とあきらめたり、あえて見ないようにしていることが少なくない。そもそも制度が使えないなら支援の手立てがないし、それはいち職員たる自分の責任でもないし、仕方がないではないか、と。

 「穴を見つける会」に集まった人たちは違った。なにせ穴を「見つけよう」とするのだから。これまでの仕事の中で気になりながらも蓋をしてきたこと、どうにもなりませんねと帰らせてしまった人のことを思い出しながら、どうしたら良かったのか、本当にできることはなかったのかと、わだかまっていた気持ちを遠慮がちに絞り出していた。渡辺さんは「穴」にいる人に光をあてるためにはいろいろな分野の人が集まらなければいけない、と考えていたようで、「穴を見つける会」には障害者支援、高齢者支援、外国人支援、若者支援、母子家庭の支援……とさまざまな活動をしている人が集まっていて、私は「ホームレス支援をしている人」として呼ばれていたのだった。

「気持ち」を聞きあう経験

 「穴を見つける会」で驚いたことはその話し合いの方法だ。今でこそワークショップ形式の企業研修も珍しくはないけれど、それまで私は人が集まって話すといえば「会議」くらいしかしたことがなかった。社内の会議は偉い人の意向をただ聞くものだし、商談であればいかに自社に有利な結論を導き出せるかという、ロジックと根回しと気合を武器にした戦いだった。

 「穴を見つける会」で大切にされていたことは、何よりもその人の「気持ち」や「価値観」だった。支援や制度はこうあるべきとか、どうしたらもっと状況が良くなるかという話もしなくはなかったけれど、時間をかけていたのはその人がどんな気持ちで活動しているのかとか、何を大切にして人と関わっているかとか、何に対して楽しさや慈しみ、怒りやおそれを感じているか、ということだった。

 思ったことを付箋に書き出すとか、車座になって話すとか、トーキングスティックを使うとか、話し合いの前から会場に小さい音でBGMを流しておくとか、お茶やお菓子を用意しておくとか、ワークショップやファシリテーションに慣れている人ならば当たり前の工夫も私には新鮮だった。ゆっくりゆっくり考えながら、ぼそぼそ……と、しどろもどろにしか話せない人も急かされることなく、全員がその小さな声にじっと耳を傾けていた。他では話せないことも「穴を見つける会」でなら話せた、という人もいたし、「穴を見つける会」であってもなかなか話せないでいる人も、「話さなくても大丈夫」とその存在を尊重されていた。

草の根ささえあいプロジェクトのワークショップの様子。団体内だけでなく、地域の支援者が集まってネットワークを作るためのワークショップ「できることもちよりワークショップ」を開発して全国各地で展開している(2013年頃)

草の根ささえあいプロジェクトのワークショップの様子。団体内だけでなく、地域の支援者が集まってネットワークを作るためのワークショップ「できることもちよりワークショップ」を開発して全国各地で展開している(2013年頃)

「なんでも電話相談」に挑む

 こんな感じで対人支援に関わるいろいろな人が集まり勉強会を続ける中で「穴を見つける会」に、当時内閣府の参与だった湯浅誠さんから新しい電話相談の事業の構想を聞く機会があった。

 リーマンショック、東日本大震災を経て、既存の制度だけでは対応できない複雑な生活課題を抱えた人たち、つまり「穴」に陥る人が急増していた。そこで政府は2012年から、

 ・24時間、365日対応、通話料含め無料

 ・ジャンルを問わず、どんな悩みでも受け付ける

 ・悩みを聞くだけでなく、支援機関への同行などリアルでの支援も実施する

 という電話相談を開始することとしたのだ。

 これまでにも「心の悩み相談」とか「借金の悩み相談」といった特定の悩み別の相談窓口はたくさんあった。しかし本当は「シングルマザーで高齢の親の介護もしている」とか「外国籍の子どもで発達障害もある」「セクシャルマイノリティであることを差別され仕事がうまくいかない」など、いくつもの悩みを一度に抱えている人が少なくない。そして、こうした人たちとつながり、ともに解決策を見出していきたいというのは、まさに「穴を見つける会」が成し遂げたいことだった

 この電話相談では、全国の各地域ごとにセンターを設けて電話相談を受けるとともに、必要に応じて本人のもとに駆けつける支援の拠点とすることとなっていた。「穴を見つける会」は愛知県の拠点を受託しようとなり、2012年に法人化し一般社団法人草の根ささえあいプロジェクト(以下、草P)となった。タイミングよく無職だった私はこの電話相談事業の相談員兼事務員として働くことになったのだった。

信頼できる支援者とは

 こう書くとトントン拍子に進んだようだけれど、実際は全くそんなことはなかった。メンバーは誰も電話相談などやったことがなかった。そもそも「派遣切りで寮を追い出され野宿している」から「家族に暴力を振るわれている」までどんな相談でも受けて、解決まで付き合う電話相談なんて前代未聞だった。

 そこで草Pでは助成金を取り、電話相談事業の前に全国で優れた取り組みをしている相談窓口に調査に行くことにした。多様な分野で働くメンバーがそれぞれのツテを辿って各地で相談活動を行っている団体と連絡を取り、「その窓口に相談に来た人」を紹介してもらい話を聞いた。実際に生活に困った経験がある人にとって、どんな相談窓口がアクセスしやすく、話しやすく、課題解決につながりやすかったかという話を70名近くの人に聞いてきた。

 私が話を聞いたのは、ある県で長く野宿生活をしていた人だ。「この人なら信頼できる、相談しよう、支援を受けようと思えたときのことを教えてください」という質問に対し、こんな話をしてくれた。

 彼は支援団体の人に会った経験はあったが、普段は支援を受け入れて野宿をやめる気にはならなかったという。しかし、いろいろあって少し心細くなっていたある夜に「住むところがありますよ」と声をかけられた。

 渡りに舟だと思ったが、その日はあいにく荷物を隣町の駅のロッカーに入れていた。すると相手は「取ってきていいですよ」と言う。時計は深夜12時を回っている。1時間以上かけて往復し、戻ってくると果たしてその人は本当に待ってくれていた。しかも「疲れたでしょう、お腹は減っていませんか」と、牛丼屋に連れていき食事までごちそうしてくれた。彼は感激したという。

 こんなに素晴らしい支援をする団体があるのかと驚くが、実は声をかけてきたのは貧困ビジネスのスカウトマンなのだった。野宿者に声をかけて劣悪な環境の施設に住まわせ、生活保護を受けさせた上で「寮費」などとして保護費の大半を徴収するため、本人の手元にはほとんどお金が残らない。

 翌朝、そうとは知らず貧困ビジネスの施設に入ってしまった彼は、携帯電話を取り上げられ外部との接触を断たれるなど、ほぼ軟禁状態の生活になってしまう。彼が放り込まれた施設は後日摘発されたようだが、こうした野宿者や生活困窮者を狙った貧困ビジネスは珍しくないという。

 ひるがえって、公的な窓口や「良心的な」支援団体が深夜に困った人のもとを訪れ、嫌な顔ひとつせず何時間も待ち、すぐに雨風をしのげる住まいを用意することができるだろうか?とも考えた。行き場をなくした人、頼れる人のいない人、「穴」にいる人の気持ちを本当に理解しているのは誰なのだろうか。私は10年以上経った今でも、このとき感じた疑問をずっと忘れることができない。

このときの調査は『複数の困難を動じに抱える生活困窮者へのヒアリング調査に基づく、当事者サイドからみた相談支援事業のあり方に関する研究』として報告書にまとめられている。

このときの調査は『複数の困難を動じに抱える生活困窮者へのヒアリング調査に基づく、当事者サイドからみた相談支援事業のあり方に関する研究』として報告書にまとめられている。

弱さからの出発

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