石黒好美の「読み/書く福祉」・ NPOが生きのびるための《事務》

ライター/社会福祉士の筆者が福祉分野にまつわるモヤモヤを読み/書きしながら整理します。
なごやメディア研究会 2024.10.26
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【今月の3冊】

『Forbes JAPAN』2024年12月号(リンクタイズ)

『協力のテクノロジー』(松原明・大社充、学芸出版)

『生きのびるための事務』(坂口恭平・道草晴子、マガジンハウス)

 私はいくつかのNPOでもお仕事をさせてもらっているのですが、NPOの運営上の悩みは人やお金が集まらないことです。それは普通の会社でもそうだって? そうなんです、同じなんです。

 悩みだけじゃなくて、営利企業もNPO(非営利組織)もやっていることは同じだよね? と、とみに言われているようです。

「NPO3.0」とは?

 1998年のNPO法(特定非営利活動促進法)の創設に関わり、長く日本のNPOの支援に関わってきた松原明さんは、『Forbes JAPAN』2024年12月号で日本のNPOの変遷を「NPO1.0」から「3.0」までのフェーズに分けて説明しています。

 端的に言うと「NPO1.0」は1990年代までの市民活動や市民運動。「公共」分野の担い手は行政であり、NPOは行政の補助的、補完的な活動を行うもの、あるいは、運動によって政府の施策に修正を迫るものでした。松原さんはこの時代を「公共一元論」と呼んでいます。

 しかし行政の財源には限りがありますし、高度経済成長期のように日本に住む誰もかれもが「経済的に豊かになること」を目指す時代は終わりました。人々のライフスタイルや価値観が多様化する中、「公益」は国や自治体がすべての人に一様にサービスを提供すればよいというものではなくなりました。

 1990年代半ば以降の「NPO2.0」の時代は、NPOは行政の画一的な施策をサポートするだけではなく、民間ならではの柔軟さで多様な社会課題を解決していく主体となっていきます。いわゆる「新しい公共」の時代は行政とNPOの協働が求められる「公共二元論」の時代でした。

 2000年代からはNPOが自ら資金や人を集めて組織基盤を強化する動きが高まり、ビジネスの手法を用いて社会課題を解決するソーシャルビジネスも注目されます。NPOやソーシャルビジネスを手掛ける若者たちは「社会起業家」としてマスコミなどで大きく取り上げられました。

 さらに2010年代半ばごろからは、営利企業もまた「社会課題の解決」のプレイヤーとして名乗りを上げるようになります。SDGsやパーパス経営、ステークホルダー民主主義がキーワードとなる中、企業もまた環境や人権にまつわる問題に堂々と取り組むようになりました。つまり現在は行政、NPO、企業、地域団体など多様な主体が連携して社会課題の解決に当たる「NPO3.0」=「公共多元論」の時代なのです。

 これを読んで、私や私が関わっているホームレスや生活困窮者支援のNPOはまだ「NPO1.0」の価値観で動いていたなと感じました。生存権の保障を訴える、といった活動の性質もあってか、行政に厳しくモノを申していく活動が根強いのです。それは決して悪いことではないし、依然として止めてはならない必要なことだと思うし、大きな成果を上げてきたことでもあります。

 一方で、私は行政にだけ責任を求めていくスタイルにも座りの悪さを感じていたことも事実なのでした。そりゃあ生存権は保障されるべきだけど、じゃああれもこれも国になんでもやってほしいわけではないし、むしろ個人の生活には干渉してほしくないし。少なくとも私(たち)は今まで国の怠慢は敵、拝金主義の企業は敵、SDGsとか言っててもウォッシュでしょ、大衆のアヘンでしょと断罪するばかりでなかったか、と反省しました。『Forbes』みたいな経済誌が特集を組むくらいには、企業セクターの側がNPOに興味を持っているのに、私は知ろうともしていなかったのではないか、と。もしかしたらウォッシュかもしれないけれど、誰だって初めから正しく知ることはできないわけですし。

 前回まで書いてきたCFJやコミュニティ財団の問題は、「NPO2.0(ソーシャルビジネス化)」から「NPO3.0(マルチセクター化)」へ移行しようとする時代の狭間で起きたことなのかなとも考えました。社会課題解決の担い手として自立しようにも財源の獲得が難しい中、マルチセクター協働の流れに乗りつつ、資金もふんだんに獲得できる。休眠預金事業の資金分配団体になることでなんとかコミュニティ財団の事業を継続していこうと考えていたのではないかなあと私は想像しています。

 (しかし、どうしてこのような問題を起こしてまでそれを行おうとしていたのか。調査報告書には助成前に日本財団とも継続的に相談や検討を行っていたとあるのになぜ見切り発車してしまったのか。そもそも助成前に両財団でどんな相談や検討を行っていたのか。など、知りたいことはいろいろあるのですが、CFJからは6月30日のリリース以上に話せることはない、と言われ、日本財団からも現在のところ回答をいただいていないので、今は想像で書いています)

イデオロギーよりも「相利」を

 企業もまた社会課題解決の担い手となったということは、やはりNPOと企業の違いはなくなってしまったのでしょうか。松原明さんは著書『協力のテクノロジー』(学芸出版)で、NPOは事業や他セクターとの関係を「協力」によって作っていけることが強みであると説きます。

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