【無料公開中】秦融の「メディア探策」〜『嫌われた監督』を読み解く①
なぜ語らないのか。
なぜ俯(うつむ)いて歩くのか。
なぜいつも独りなのか。
そしてなぜ嫌われるのかーー。
ネットで検索して出てくるアマゾンのキャッチコピーはこんなフレーズで始まる。最初にこのコピーを目にしたときのインパクトは、忘れがたい。
そうだ、その通りだ。取材記者として身近で見てきた私もずっと「そこ」に他の野球人には感じない、この人特有ともいえる、ある種の異質性を感じてきた。
「嫌われる」
最大のポイントはこのフレーズだ。これをタイトルに持ってくるところに、思わずうならざるを得ない。大胆な指摘で、かつ、そこに言い得て妙な響きがある。

面白い、との評判は元同僚のFacebookで知っていた。しばらくすると、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。続いて、私の著作『冤罪をほどく』(風媒社)とともに、講談社本田靖春ノンフィクション賞の最終候補作にもエントリーされた。この時点で、初めて「読んでみよう」という気になった。なかなかそうならなかったのは、それまでいくつか出ていた「落合本」から感じる特有の印象が原因だった。
落合博満、という稀有な野球人は、過去にさまざまな描かれ方をし、また、本人自身の言葉による書籍はいくらも出たが、私の知る落合氏の実像を的確に描いていると思える作品に出会えたことはなかった。
その都度、私は心の中でつぶやいたものだ。
「やっぱり無理だよな。あの人を本物の通りに表現することなどできない。誰にも不可能だろう」
その時、どこか、ほっとしたような感覚になる。自分がスポーツ記者だったころ、できないと断念したことを、同じように他の人ができないことを知って安心するような、消極的な自己肯定感のような感覚とでも言ったら良いのだろうか。