秦融の「メディア探策」〜『嫌われた監督』を読み解く⑥ 壁の絵画
落合の現役時代に中日の監督だった星野仙一は、心技体の順番を「体・心・技」と語り、監督になった落合は「体・技・心」と語った。二人の違いを象徴するところだと感じる。星野は就任直後に「闘志なき者は去れ」と言ったように、技術よりも闘争心に重きを置くスタイルだった。一方、落合が重視するのは、長時間のトレーニングによる肉体の強化(=体)と、技術の鍛錬(=技)であり、その二つがしっかりしていれば「心」は自然体で常に平常心を保つのが望ましい、という考え方だ。この根底的な思考の特徴を理解すると、アライバの同時コンバートという、専門家の誰も共感できなかった策こそが落合そのものを理解する一つの風景として見えてくる。同時に本書『嫌われた監督』の魅力が凝縮されているテーマでもある。(敬称略)
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鈴木忠平氏著『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』のクライマックスは、落合監督最後の年であると同時にリーグ優勝を成し遂げた2011年だ(撮影・関口威人)
落合の「技」は頭脳と密接にリンクしている。それが天性の「技」であれば、むしろ対極に位置づけられるかもしれないほど、落合の「技」の世界は思考を徹底的に緻密に、深く巡らせ、掘り下げる先にある。
落合が「技」を結実させるまでの起点に「頭脳」があることを強く印象付けられた出来事が、私が現役時代を取材していた当時にあった。
ロッテから「世紀のトレード」で中日に移籍した落合の1年目、1987年のシーズンは、唯一可能性の残っていた打率部門も僅差で古田敦也(ヤクルト=当時)に敗れ、打撃成績が無冠で終わった。
最終戦が終わって間もないある日のことだった。
「落合が、うちの単独取材に応じたぞ」
中日スポーツのドラ番グループを率いていた竹内正毅キャップ(故人)が私を含む配下の記者たちに言った。当時、私は入社3年目の25歳だった。
落合には他に何社か取材の申し入れがあり、単独取材をめぐって各社争奪戦の様相となっていた。竹内キャップも部下の落合番記者任せにせず、直々に本人との交渉に乗り出していた。落合からの受諾の返答にキャップは気持ちの高ぶりを抑えながら、部下の私たちに受諾までの内幕を話した。
「落合は俺にこう言ったよ。『文書できちんと申し込んできたのは、あんたのところだけだった』とね。良かったよ。同じ中日グループだからって取材に応じてくれるやつじゃない。だから、きちんと筋を通して依頼することが大切だと思ったんだ。それで、総局長の名前で正式に申し入れたんだよ」
単独取材は、落合邸で行われることに。竹内キャップは連日、居間に上がり込み、ひざ詰めでの取材を重ねた。中日スポーツが打撃論について、落合から本音を徹底的に聞き出した、おそらくは最初で最後となるインタビューだった。
星野仙一監督の取材には担当記者全員で行くことも多かったが、落合には1対1での取材をキャップは続けた。同席して打撃の真髄を聞いてみたい、と思ったが、使いっ走りの分際でキャップと落合のサシの取材に入り込む余地はなかった。
その代わり、取材が終わると、決まって「夜の打ち合わせ」を名目に部下の私たちを名古屋市内の居酒屋に呼び出し、とうとうと取材内容を聞かせる、という日が続いた。
その中でも繰り返し語っていた、印象的なことがある。「頭ぶよぶよ」だった。
竹内キャップは取材の緊張から解放され、大好きなビールをあおるように飲みながらこう言った。
「オチ(落合)はさ、オフの間は頭がぶよぶよになるって言うんだよ」
密着しての取材で打ち解けたこともあり、私たちの前では「オチ」と親しげな呼び方に変わっていた。
「頭がぶよぶよって、どういうことですか?」
当然の疑問を口にすると、キャップはその問いを待っていたかのように目を輝かせ、自分だけの極上の秘話を打ち明けるいたずらっ子のような顔つきになった。
「その言葉どおりさ。頭がぶよぶよになるんだよ。隣にいる信子さんも言うんだから。『本当なのよ。毎年オフになると決まってこの人の頭はそうなるのよ。頭に指がずぶずぶと入っていくのよ』ってさ」